ふぁぼって紅

偏見によるバストークと軽い読み物

努力義務違反 [1-1]「世界線は噛み合わない」

——

 努力義務違反

【 1 】「世界線は噛み合わない」

——

 

口をそろえて、人は努力しろと言う。当然、何ら尽力せずに多くを望むことは強欲であると認識している上で世間体がさほど甘くないことくらいは十に承知しているつもりだが、だからといって自分の感情をなおざりにしておけるかといえば、否、そうではないだろう。努力した先に待ち受けているものは何だろうか。人々は決して努力の観測者にはなってくれない。尽力の果てにあるものは温かい容認ではない。生半可な目に他人の努力など映らない。元々終着のない向上を、ただ相手の一切を考慮せず機械的に繰り返し促すだけという薄情なものだ。第一、それは他人の努力を読み解こうとする努力が足りていないことに端を発するから、そもそも言動が相反していることにもなる。それに、倫理が存在する以上、いくら努力をしたところで実る公算が著しく低い物事は極めて多岐にわたる。簡単な話が、毎分毎秒、怠らず念じれば生身で空を飛べるかと問われれば言葉にするまでもなく、結末は絶対的に明白だろう。

もっと例えてみよう。空想上でなく生身の自分という人間が高嶺の花の象徴とも称するべきアイドルと赤い糸で結ばれる確率は果たして十分だと高らかに語れるだろうか?わざわざ口にするのもみすぼらしいほど、もはや天文学的な確率論の世界になること必至だ。とまあ、苦言に近しいソウルの叫びを書き連ねてはみたが、巷から言えば年端もいかない若造の分際で悟り切ったかのような物言いをするのはあまり感心に値しないはずだ。それでむしろいい。僕だけはいつまで経ってもガキだ。

青春とは反抗したいお年頃だ。青春が何であるか、一口に定義を紐解ける人がいたらぜひともその語彙の深さと知性を少しでも分けてほしいところだが、というよりは青くして現実の壁に直面し得るこの世知辛い世界そのものに問題があるのではないかと思わず苦言を呈したくなってしまうのは一種の若気の至りのようなものだろうか。いずれにせよ、子供の戯言で終わってくれて一向に構わない。僕も、僕たちも、君も、今はまだ未熟なまま、大人街道に差し掛かったばかりだ。

明瞭かそうでないかの相違はあれ我々は目的意識が先行しがちで目下重要視されにくいが、目的に到達することが一つの終着点だとすると実のところ末端を目指し奔走する過程の部分が最も価値のある、何物にも代えがたいかけがえのない、とでも言っておこうか。残念ながら僕は遠く無縁になってしまったが、学校と思えば非常に理解が深まるのではないか。

すべての授業過程を履修し、卒業して肩書きを失っては全くに空っぽだ。残るものは胸に秘めた記憶の欠片と、形あるもので卒業アルバムなんかだろうか。だからこそ在学中の、その履修の過程に起こる出来事が青春なんていうやつなのだろう。

ところで、先にアイドルとの相思相愛の可能性を比喩として引き合いに出したのは他でもなく、自分の生活に密接に関わっているからだ。これまた我ながら語弊を招きそうな言い方をしたものだが、青春のくだりの延長線によいのでついでに腹を割っておく。密接に関わるというのは、それこそ壮絶なスケールで選ばれし小数的、天文学的な確率の覇者であるという完全勝ち組を豪語、格式の違いを誇示しているわけではなく、単にその類とほぼ同義と言えるモノによって僕の小宇宙が形成されているのだという意訳に過ぎない。僕は近状に満足していない。そうだな、ただちっぽけな。

セミの一生は実に短いと言われている。幼虫時代を暗い地中で過ごし、ある晴れた日の夕方、樹上に現れたそれは羽を広げ、まだ見ぬ大空へ向かって翔けていくのだ。残り少ない天命を知ってか知らずか、今という取り留めもない一瞬を律儀に過ごしている。小さい世界だ。一生のうち、その目に映るものは決して多くはないだろう。セミに対する情熱は特になく、知識に長けていることもないが、こう脚色をつけたくなってしまうのは所詮ヒト目線だからだろうか。羽化後の短い生涯、異性と運命の出会いを果たせる確証は?

あるいは、大きすぎる世界の狭い片隅に溺れ、見落として、それでも必死に断片を探そうともがき続け、可能な限りの手を尽くした。いや、そうしようとしたのか。

広い世界の、氷山の一角で。狭く乏しい視野の中。

でも、僕らにはまだ、わずかの猶予が残されているから。

それは青春と称するにはもう手遅れで、輝きをあまりに失い切ってしまったけれど。

 

――報われたい。当然だろう?

 

『――ふゆくん』

背後よりお呼びがかかったので、軽く目を見開いて声の主のほうへ向き直ろうとする。

「……うん?なんでしょう」

心なしか肩に手のひらと思しき温もりが触れた気がした。

『チェキ!撮ろ――』

少女はにこやかに言った。腰に「ひかげ」と大きく書かれた腰のネームプレート。肩丈ほどの、さながらショートカット風味におさげ。別に僕ら昔の人間ではないのでいくらか今風に言うと姫カット、ぱっつんなどと言ったりするんではなかろうか。

「……て、ああ、俺か!」

自分の番か、と短く応えると席を立ち上がっては彼女の隣に並ぶ。

『寒くないの?そんな格好してて』と彼女は言う。

「中じゃそんなに寒くはないぞ」

言って僕はTシャツの襟をつかんでみせた。

『寒いよー、信じられない!』

「そうか?俺は名前が寒々しいだけだからな、大したことないよ」

『もう夏じゃないんだよー』

「まあ、残念ながらそうだな」

自然と会話が生まれることに喜びを覚えつつ共に店内を歩き、ホールの正面に位置する小高いステージへ上がると、少女は角の丸いピンクのカメラを取っては僕に手渡してくれた。仕事の一環なのだから手慣れたものだ。

――チェキ。敢えて解説するまでもないだろうが、一言で片付けるとその場で現像がなされるポラロイドカメラだ。今時の女の子でその存在を知らない者は果たしているのだろうかと首をひねるほどであるし、それだけ普及しているものだ。例えば、アイドルという象徴的なビジネスには重宝されている。つまり、チェキ撮影なる行為に金銭を発生させて効率的に利益を上げているわけで、今この瞬間まさにカメラを握っている僕も通貨という対価を払っているのはもはや言うまでもないだろう。

「……いきまーす!」

 『……はーい』

カチ、と安い機械音の後に側面から長方形の台紙と一体のフィルムが放出され、それはすぐに造影される。

どうもフィルム側に充満する現像液をカメラ本体のローラーで均一に伸ばすのがこの規格の特許だとかと聞くが、あまりメカニック的な部分に踏み入れるのは無知がばれるので控えるとしよう。

撮影されたチェキを手渡すと、簡単にではあるが思い思いにデコレーション、格好をつけずに言うとお絵描きをしてくれる。模範と少し違うのは、少なくとも少女達はアイドルではないアルバイトの一般人というところであるが、こちら客からしてみれば暗黙の了解で高嶺の花なのはアイドルと大差ない。認識として同じようなものだ。

『……ふゆくんって冬生まれなの?』

少しの沈黙を経て、口を開いた彼女が話題を提供してくれた。

「いや、実は夏」

『そんなに寒い名前なのに?』

「……存在が寒いみたいな言い草だな」

『……へへっ、ばれた?』

「そりゃなぁ……って、悪意あるのかよ!」

『うん、それなりには』

そう言って悪戯に微笑む彼女は、この限りなく広く霞んだ世界の何物よりも無垢であるかのように感じられた。魔法使い見習いは勘違いしやすいから。

「おいおい、ひっでぇなぁ」

少し顔を緩めておどけてみる。会話なるものはいつの時も出始めが肝心だ。沈黙自体が怖いのに、初っ端から話しが弾まず滞っているようでは、雲行きが怪しいだけでなく話題の発展性もない、それこそ文字通り話にならない。

『えー、スキンシップだよー?』

「……スキンシップって主に身体接触を言うんじゃないの?」

掴んだ話題には全力で、必死に食らいついていく。なるべく途切ることのないよう食い繋いでいく。それくらいの気概がないと、いとも簡単に静寂は訪れてしまう。

『お触りはだめだから、その分言葉のスキンシップね!』

「……言葉の暴力、の間違いじゃなくてか?」

『だとしても嬉しいでしょっ?』

「まあ」

否めない。いや当たり前だ。取り留めもない、けれど世間話などではない“個”として囃してくれているのだから嫌な理由はない。

言葉を交わすということ。続く言葉があるのは、当たり前じゃない。たかだか二十年と少しの未熟な経験量でしかないが、伊達に根暗陰キャをやっていないので本当にそれは再認識しているところだ。

特に出逢いから日が浅いうちはお互いに自分史の初歩であるプロフィールの部分からアプローチしていったりするのが自然だろう。それは金銭授受の有無に関わらず、いかなるケースにおいても人との関係を築く上で初歩となる基本原則ではないかと感じる。当然ではあるが、会話にぎこちなさが払拭しきれていないうちは言動の端々に壁や距離を感じることが多かったりするわけである。僕がこの業界の何に精通しているというわけではないが、如何せんこの趣味を始めて短くもない。礎を築き上げるその決して短いといえない下積み期間はどうにも歯がゆいのだ。……まぁ、僕なんては万年下積みか。

忘れてはいけない、ここは”そういう世界“だ。それ以上でもそれ未満でもない。ただ、いつの時どこの世界にも例外というものは存在するのだけれども――

それはまた今度、別の話にしようか。

……

時間にすると何十秒にもならない、云わば一瞬の沈黙。

「……そういえば」

とまで言ってやはり、と口ごもった。

『どうしたの?』

彼女は、僕の発した些細な一言にも真摯に取り合ってくれる。面倒な素振りなど見せずによく耳を傾けてくれる。もっとも、知り合って何ヶ月というわけでもない、彼女の身上からしてみたら新参のようなものだ。いいところで二ヶ月くらいは経っただろうか。たった二ヶ月で何がわかるというのだろう。

無論だ。正直解らない。それに、大前提として今一度記しておくと金銭の発生する営利関係だ。向こうは店員でこちらは客ときたら、ただスタッフとして客の一人に接客をしているに過ぎない。でも、もしかしたら——ということはないにしても、。

「……いや、ちょっと聞きたくてね」

『うん?』

だからこそ、無用な催促になってしまいそうで非常に聞きづらいというか言い出しづらく、わざわざこの期に及んで軽薄に口にする必要があるとも思わないようなことだった。

「んと……、その」

『なに?言ってみてよ』

だから、できるだけ直球を避けて無難に。

……そう。

「俺のアカウント、フォローしてくれてたっけ?」

愚問だった——

 

——3分という時間は実にすぐ過ぎてしまう。つい今しがた手元でペンを走らせてくれていたチェキを僕に手渡すと、『ありがとう!』と目配せをしては促すようにステージから降り去っていった。

チェキお絵描きの時間は3分というのが店側の決めごとで、公平を期すために100円で売っているようなキッチンタイマーを設定することで管理されている。ただ、タイマーをセットするのはそのキャスト自身なので、仲良くなると人によって多少は誤魔化してもらえたりする。マケてもらう前提で語るのもどうかと思うが、ひかげちゃんというこの少女はまだ僕と面識を持って日が浅いからか、規則は厳守するまめなタイプなのかマケてはくれない。まあ、問題なのは見逃してもらうのが当たり前のように思えてしまう我々常連客の方である。ただ、その辺の規則がより強固になったのはわりと記憶に新しいことで、通い始めた頃なんては半ばフリーダムだった。ただ、推しメンの子が他人と、自分のときよりも長く話していることがザラだったりと一概にはあまり気分の良いものではなかったようで、やはり苦言が多かったと聞く。時間が厳格に定められたのは所詮カネの絡む利益的理由によるところだが、運営者側も苦心気味ではあるようだ。

この手のカフェ形式の店は大概一人で来ても退屈だ。例えばメイドを謳う店であってもバーを模したカウンター席のあるところであれば幾分回転効率がよいのだが、それはそれで隣の客が気になって落ち着かなく僕の性には合わなかった。

ここは業種にしてはかなり開放的なカフェだが、物好きな僕は最も奥、申し訳程度に並べられた手狭な卓席を好きで陣取っている。いや、何もわざわざ退屈しに来ているわけはなく、日課を共にする仲間達がいるからこそバカみたいに通い詰めているのだ。もっとも、僕はかねてより親しい友人ら数人と通い詰めているに過ぎないので小ぢんまりとしたコンパクト集団で、定点である奥席を固めている。自ら奥の方に追いやられに行くというのも物好きだという話しかもしれないが、入口付近に比べると人の往来が少ない立地は居心地が良く、悠長にくつろいでいられるという点で我々はこの空間を評価している。ちなみに、この店の客層の中心が若造ということもあり、他の常連らも同様に“界隈”と称される集団行動の派閥的なものが出来上がっていたりもするが、我々の人脈が薄く、また必要ともしていないことからごく限定的な関わりしか持っておらず、動向には詳しくない。

そんなことより、今日はまだ界隈の仲間が誰一人ご帰宅されていない。おかえりなさいませ~!されていないのだ。少なくともここは、そんなガチガチメイド風情とは無縁の場所であるが。

しばらくそうこう暇をしてふんぞり返っていると、コツコツと背後から硬い靴底が床を叩く音が聞こえてきた。足音はともかく、人の気配というのは背を向けて目を瞑っていても気がつくものだ。特に意味はないが、振り返るでもなく気づいていない体でいこうと思った。次の瞬間、親指らしきが脳天に触れ、軽くではあるがつつかれた。あーあ、困ったもんだな。これで俺は明日便所と友達をしているようか。

『……ねぇ』

感触が無くなると、指の主は口を開いた。

正直、声を聞かなくても香水かシャンプーかなにかの匂いで誰であるかくらいは解ってしまう。

「溜まってないのか?」

……下衆な誤解を招いてからでは遅いので断りを入れておくとする。いくら人よりは世間知らずな俺でも、可憐な乙女を相手にいきなり何の躊躇もなくデリケートゾーンに踏み込んだりはしない。

「いや~最近ひと悶着あったんだよね~!」なんてレスポンスがあるとでも思ったのだろうか。一体なんの悶着だよ。というか、そんな他人の淡いピンク事情を聞き出そうとしたところで何のメリットもなければ面白くも何ともない。そうではなくて、チェキ撮影待ちの客はいないのかどうかといった旨の職務的な質問だ。

『何枚か入ってるけど、ホールにいなくちゃいけないんだよね』

当然意味は通っているはずで、そう、ひかげからは趣旨に沿った返答が返ってくる。

『だーから話しにきてあげたの!』

「ほーん、そりゃどうも?ありがたいわね」

『嬉しいでしょ』

「仮に嬉しかったとしても、おかげでこっちは明日下痢だけどな」

つむじを触られると翌日腹を壊すというしきたりのような風説を思い出して、織り交ぜるように口にしてみる。

『そんな根拠のないこと信じてるの?』

「俺の明日という当たり前のような平穏が脅かされる死活問題だ」

『ちょーっとお腹壊すかもしれないくらいで?』

「出先で腹が下ったらどうしてくれるんだ。謝罪と賠償どころじゃないぞ」

『どうせ外に出ないくせに?』

「こりゃまた人をニートみたいに言ってくれるな。一体俺を何だと思ってるんだ?」

ニートでしょ!』

「……ぐ」

『違うのっ~?』

少し掘り気味かもしれないが、まあいい。若干それに近くはあるが別に後ろめたいことはない。きちんとWorkしている。そう、働いていないことは断じてない。天に誓ってだ。僕は胸を張って仕事をしている。……。

いやぁ、それはちょっと自負が過ぎて自意識過剰の気があるかもな……。

「俺、150年くらい前から思ってたけどJapanese peopleって何が悲しくてかフリーターに当たり強いよな」

『……150年前って鎖国やめたくらい?』

さすがの俺でも、いや違う、この大したことのない頭の程度ではうまいこと面白おかしく切り返せなくなってしまったので、パートタイマーの職歴問題について掘り下げることにしよう。

「もう少し格好のつくように言うと、Albiter」

……ん?アルバイトって和製英語なんだっけ?

『まあ、働いてるんだし私は別にバイトでもいいと思うけどね』

どうにもフォローを入れてくれたようではあるが、わりと淡白な反応だったので若干しょげつつ間髪入れずに続ける。

「じゃあ別に俺でもいいってことか」

『それはちょっと控えめに言って無理かも』

「……そろそろしょぼくれるぞ」

『――お前が真面目に働いてるところなんか想像したこともねぇぞ?』

――おっと、これはこれは……背後から闇の刺客が、非礼にも僕とhoney二人の愛の巣に割り込んでくる奴が現れた。彼は……、

「……確か、その、天の川みたいな…… なんだっけ、天橋立?……あぁ!天の邪鬼!!!」

『殴られるか蹴られるかのどちらがよろしい?』

――天野 仁。いつものメンツ、我らがイツメンで形成される界隈“友愛なるボーイズ”にあって随一の頭脳派、表現家である。そう、我ら友愛なるボーイズの誇る……!云わば、なんというか……ポエマーだ。

「……で、どっから聞いてたんだ?」

『お前がニートだってところから』

ニートちゃうで!!!!!ぼくアルバイト!!!!!」

『へー、初めて知った。自分、職種はなにしてるん?』

「おいーっ!! えー、触手はリトルガールのボディタッチを少々……」

『あの……噛み合ってないし、クソみたいに伝わりにくいシャレ交えてくるのやめろな?』

『てかリトルガールってお前、それ幼女ってことだぞ……』

残念。クク……、薄情だな。ヘドフィリアというものをまるで理解していない。もしかしてあれだろうか。10歳超え、年齢二桁の少女を見ても一括りに「幼女」とか言っちゃう類の教養だろうか。

『…………うわっ』

オタクたるものは皆、趣味趣向の多様性ならびに踏まえたうえで、自身の偏見という色眼鏡的バイアスの無い正しい知識のもと、語意に隠れた固有の本質をしっかりと理解していなくてはならない。

……って、黙って聞いていれば。

「うわって言うのやめてくれようわって!聞こえるように言うの!ひかげちゃん!幼女普通にかわいいだろ!」

『……キモ。まあ薄々思ってたけど』

「薄々っていつごろからだよ!?」

『うーん? 三ヶ月くらい前からかな?』

「それ出会ったときからじゃねえか!」

思わず、ひかげに対するツッコミに力が入る。さらに言うと、自虐ともいう。

『まったく、どこまでもしんどい奴だな』

冷めた面で会話の動向を探っていた天野が口を割った。

「ひでーなぁお前らー」

……ふぅ。散々な袋叩きに遭った。まったくはこっちの台詞だまったく、最近の若いのに慈悲というモンはないのかいな。まあ、天野に限って言えば一歳ばかり年上なのであるが。

『いいだろう冬希、挽回の余地を与えてやる』

「ん、そりでは失礼……、ケホン」

「――であるから、俺は9歳を越えた少女であればだな……」

『『もういいから!!』』

「……はい」

制止されました。はい。

ちなみに僕の社会的名誉のために言っておくとぺドフィリア、即ち幼女趣味は特にありません。ファッションにして冤罪です。合掌。

……

秋空なんぞというものは時に憎たらしくなるくらいに青く澄んで、まるで見渡す限り遥か遠く続いている……と、思われる。まあビルしか見えないけどね。窓越しだし。でもきっとどんなに遠くとも、この大空はまだ見ぬハニーのもとへ通じていると信じているよ、俺。信じ続けるよ俺。

――10月。運動会ってちょうどこんな季節だったかなぁ……とか、文化祭シーズンだよなぁ……とか、やたらと我々漆黒に生きる人種には目が眩んでしまうキラキラした実体の無い栄光のような何かに結び付くであろう鉄板行事が思い浮かぶ今日この頃、一体全体この地球に生けるヒューマノイドの皆さんはいかがお過ごしでしょうか? そして呼吸をしている暇があればぜひ僕に同情してください。

「……大体さぁ」

『なんだ?』

向かい合う先、肘で頭を支えるようにしてふんぞり返る天野に、囁くように語りかける。

「主よ、俺の言いたいことがわかるか?」

『わかんねぇから聞こうとしてるところだろ』

「……フッ、甘いな」

『なんだよ』

一般にメイドカフェ――コンセプトカフェと言ったりするが、そんな類の業種にどんなイメージがあるのか知らないにしても、少なくともこの店にキャバレー要素はない。まさに皆無である。であるから、テーブルに居ながら麗しきキャストとコミュニケーションの取れる時間は限られている。それに言ったと思うが、ここはフロアの中心から切り離された端くれの卓席だ。無情にも少し手前で折り返していく女の子達の背中を見ているだけで腕時計の分針がざっと半周ほどしているということが、ざらでもないが少なくもない。……要するに、

「……暇である」

『ごもっとも』

こう、向かい合わせに座っているコイツにしょうもない馴れ合いを吹っかけるくらいしかすることがない。スマホなんぞすぐに充電が尽きてしまう。大容量モバイルバッテリーを持って臨んでも大概肝心なときには吸われ尽くしてしまっていて役に立たなかったりするから、それはもう身なりにつけるアクセサリー同様飾りみたいなものだ。

『暇なときはさぁ』

「ん?」

『……女の子のいい匂いを嗅ぐに限るんだが、近くに来てくれないことには匂いが届かないんだよな』

反撃のチャンスだと思った。

「お前のそのキモったらしい嗜好も大概だと思うんだけど」

『いや、お前ほど異常性癖じゃないから』

「さあ、どうだかね。何なら客観的に評価してもらうか?」

『上等だな……、おーい!誰かー女の子ー!』

天野が唐突にキャストを呼び立てると、最も近い卓で他の客と談笑していた一人のキャストがこちらへ気がつき、オーダーを取る格好でレスポンスをくれる。急に呼びつけたら、何か注文でもするのかと思われて至極当然だ。薄ら笑いを浮かべて人差し指を横に振る天野に困惑の表情を浮かべる彼女。

『え、何か注文あるんじゃないの?』

我々の机の至近距離に歩み寄り、向き直ってこちらを見つめる彼女は、時に名を「あおい」という。――羽成 あおい。長い金髪がひときわ目を引く、異質にアイドルオーラを振りまく少女だ。

『あっ、じゃああおいちゃんお持ち帰りで!』

呼びつけて自らおいてアホ面でとぼけるとは、誉めるでも貶すでもないがまったく、いつもながらとんだ根性をしたものだと感心させられてしまう。

『じゃあ、じゃないでしょ!』

一方のあおいちゃんも何ら動じることはなく、律儀にも彼の扱いに困ってしまうような常套句に平然と応対していた。

そして、そんなことよりも何より僕の威信にかけて空前絶後の、願ってもみない態勢逆転の好機が舞い込んできた。チャンスは拓かれた。そう、こうこなくっちゃ。このビッグウェーブを物にできるか、すかさず話題をさらっていこうと思う。まずは順を追って。

「……どう思う?この人」

『――キモいと思う』

業務妨害もいいところだな、ごめん」

……これは彼女も乗ってくれているし話を誘導できているというか、ちょっとはうまいこと形勢逆転したんじゃなかろうか?

『ほんとだよ、何か頼むのかと思っちゃったじゃん』

『いや、だからあおいちゃんお持ち帰りを頼んでるんだけど――』

『はいはいわかった、もういいよわかったから』

聞くに堪えないお下劣な会話が、横槍を入れる隙もなくハイテンポに流れ始めた。

『わかったの? いいの!?』

『……アスペってよく言われない?』

『言われ……って、さらっとひっでえ!なぁ、ひどいよなあーふゆぅー!』

「わりい、さすがにお前が気持ち悪ぃ」

『いや、お前には負けるから言われたくねぇ』

「俺が気持ち悪さでお前に勝るはずがない」

こうして常日頃から気持ちの悪さのサミットの座を譲り合い押しつけ合う間柄のあましん、もとい天野はこう見えて僕のようなコミュニケーション弱者が饒舌になれる、まるで実家のような安心感をもたらしてくれる……いやそれは違うか。とにかく、かけがえのない唯一無二の付属品……もとい相棒だ。事実、僕は彼の付属品であるし彼は僕の付属品に他ならない。絶妙なコンビネーションだと自負している。だからこうやって暇さえあれば、というのはこの暇人の僕にあっては言っていて少し悲しくなるけれども、こうして二人で創り上げてきたここでのストーリーなのだ。時間にすると大した期間ではないかもしれないし、ここに集う我々常連風の客とキャスト達とはいかに胡散臭い相関関係だとしても、どんなに歪でも天野と共にこの手で築いてきた居場所なのだから。で、そんな具合でコイツは戦友だ。まあこの場合負けるが勝ちだが、勝負事というもの決して白黒つけずにはいられない。結果がつきものであり、それが全てでもある。そう、例えそれが理不尽不毛な闘争だったとして……も。

『どっちも対等に気持ち悪いから自覚したほうがいいよ』

次の瞬間、プリティガールあおいの一言によって一蹴された僕らはこぞって轟沈した。GO! ちーん。ここは南極大陸か。

「いつか絶対見返してやるからな」

別に見くびられたわけでもなしに、心にもないことを小声で呟いてみせるのだった。

 

ああ、そうだ。こんな平穏な日々がいつまでも続くとは思っていない。本来あるべき生粋の青春に必ず終わりが来るように、自然の摂理に沿って生かされている一生命体である以上創られた青春にも終わりは必ず訪れる。であるから何だというわけでもないが、つまりを言うと一日、といっては語弊があるかもしれないが、オープンからクローズ間際まで滞在したと仮定しても、目当ての子と交わす言葉の数はさほど多くはない。今日のような土休日だと昼下がりの13時に開店しラストは全日共通で22時まで営業しているのだが、そこはカフェ形式の宿命とでも称しておこうか、キャストは全ての卓を万遍なく周回しなければならない。まあ、そこまでお堅い規則というわけではないので皆比較的自由にしているし、自由だから客とだけでなくキャスト同士の私語も全く問題とされていない。前述のように目当てのキャストがいるとして、その一人に限って言えば大半の時間は他の客のもとへ回っているか、同僚のキャストと談笑していることになる。だからこそチェキというオプションは自分の推しメンの写真を手に入れるだけでなく、一定時間会話を交わすためのほぼ唯一のツールとなる。

ただ、僕の場合だが何もそこまで話すことに執念を持っているわけでもなく、ペースで言うと何分、何十分に一回は目当てのキャストでなくとも誰かしら別の子達が訪れてくれるわけで、それもない全くの空白という時間がさほど長いわけではない。普通の時間が流れていれば、大して不満を抱くこともない。平等と公平。一見同義のようにも思えるこれら両者には大きな隔たりがあり、時にそれらが波紋となって不協和音を招くことに繋がるのは、また別の話だ。

 

「チェキ、ひかげちゃんで」

『おー?今日なんか飛ばしてるねー』

「……そうでもないよ、まだ二枚目だし」

『じゃあ伝えとくねー!』

「お願い致し申す」

と、今、少々目を丸くしながらにオーダーの伝言を承ってくれたのは ――菖蒲 ひめか。小柄で小動物チック、少し色の入った腰丈の長髪が好ましい少女。僕の愛しの。いや、それはあまりにもしんどいシンドバッドになってしまうか……、では僕のちょっとお気に入りの――ひかげちゃんと同い年にして同じ大学の同級生だ。一つ屋根のした、というと意に反して浮薄な匂いがしてしまうが、決して広くないこの空間に流れる時間をそれも週何日か共にしていれば、交わす会話は薄くとも顔と名前と大方の人物像、即ちオーラというやつくらいは自然と頭に入ってくるものだろう。このひめかちゃんに至っても挨拶に付随した軽い会話を交える程度、いいところゴシップくらいだろうか。ともかく、よく話すというほど近い距離上にはない。そういった距離感をちょっとばかり生じている子達はどうしても何人か名前が挙がってきてしまう。人の数は違えど、この境遇自体は学校のクラスのようなものではないだろうか。普段から行動を密にする、極端に言えば派閥という名の島があって、また暗黙の掟に近い形で男女の隔たりがあるところもなかなかに近しい。まあ、学校に例えると想像が容易で理解が得やすいというだけで、一般にどこの組織空間にあっても蓋を開けてみた実態はそんなものなのだろう。

『……なぁ、おい!』

「……ん?」

手元のケータイを一心に凝視、沈黙していたと思った天野がテーブルから反り出して天(井)を仰いでいた。

『いいよなー、ひめかちゃん!』

「……最近そればっかりじゃないか?」

『お前の注文だけ取って行っちゃったじゃないか』

「悪かったな」

『べっつにいいけどさぁー?』

「……全然良さそうじゃないけど」

アマノマイスターではないからわからないが、どうにもコイツが言うにはひめかちゃんは自身の望むタイプに合致するのでそそられるらしい。そんなようなことを言い出してから結構に久しい。一応僕もそれに関してはわからんでもないというか、むしろ間違いなく思う。仮に意中の人としておこうか、自分の中で軸が定まっていたとしても別に中心以外の視野がないわけではない。可愛いと思う人は可愛い。……ただそれだけではあるが。

『まあ、そういうことだから』

「……いや、どういうことだよ」

『好き』

「ああそうですか……」

実際そうだ。このようなカフェタイプの店舗に来てまで異性との接触を図ろうとしているのだ。それぞれ推しメンと過ごす時間もそうでない時間も、どれだけ楽しめるかが鍵になってくる。要は楽しんだ者勝ちなのだ。

『――なになに? あましん、ひめかちゃんなのー?』

すっかり聞きなれた麗しい声がふいに耳を突き抜け、天野へと語りかける。

『え?』

開口一声そうくるとは予期していなかったが、普段は減らず口が達者な彼にしてもこれは不意打ちだったようだ。聞く人が聞かなければ少々言葉足らずで語弊がありそうだが、彼の関心の先にひめかちゃんの存在があるのはそれなりに以前から明瞭だったし、友人のキャストという視点にもそれは同じに映っているのであろう。

『ひめかちゃん、好きなんじゃないの?』

彼女、もとい少女ひかげは言葉を続ける。

『……まあ、そうとも言うなぁ』

少し傾げ込んで、天野が口を開いた。

「珍しく素直だな、お前」

僕の好きなこのひかげちゃんと、その友人で僕の友人の天野の好きなひめかちゃん。これは一体どういう相関関係なんだ……?

 『ひめかちゃんのどこがいいの?』

 「……それ友達のお前が言うことか?」

あまりにも赤の他人に対する言い草のようだったので思わず突っ込んでしまった。余談だが、ツッコミはそれなりに鍛えていたがために多少は自信がある。まあなんだ、多少の自負というだけで何にでも返せる、機転が利くというわけではなく肝心な場面で発揮できないのが特徴だ。

『いやぁ、なんか……可愛いじゃん?』

当の天野は俯きがちに頭を掻き毟りながらも、大真面目に返答していた。

「……それだけが理由?」

『ふーん、結局顔なんだ』

『……そういうわけじゃないけど』

「ま、でも本当にお前もその気なんだな」

『お前も、ってなんだよ、も……って』

「べっつにー」

『お前と一緒にされたくねぇよー!』

「そうかい」

 妙に清々しくて、溜息混じりに微笑んだ。

コイツとは短い付き合いじゃない。新たなストーリーの芽吹きを予見させる状況を微笑まずして一体世の何が微笑ましいというのだろう。

『爽快?』

と、今度は逆にひかげがおどけてきた。……云わばそうだ、清々しいのだから間違っちゃいない。

「ま、そうかもな」

『……はあ?』

天野は困惑した様子で小口を開いていた。ちょっとした言葉の小競合いの挑発に、即ち僕が乗らなかったのだから無理もないだろう。いかんせん微笑ましいではないか。

 

『——で、まあそれはいいけど、ふゆくんチェキ撮るよー?』

「……ん?」

とんだ急転回だ。返答を発するまでに数秒かかったが、そもそも彼女は手が空いてチェキオプション待ちの僕を呼びに来たのだろう。僕の番だ。

立ち上がり、軽くよろけたがために机にお手つきしてほんの気持ち生温い笑いが取れたり、ステージの壇上へ登るときに躓いて膝を強打したりしながら辿り着いた君の隣、束の間の君と一体一の時間。どんなにちっぽけだっていい。部外者からすれば何だってちっぽけだ。いわば君と僕を繋ぐ“唯一”ではないけれど、限りなくそれに近い貴重な手段。チェキの価格1,000円、そのための千円だ。

ステージに上がるまでの間、会話は生まれなかった。まだ会話は始まらない。

もしかしたらだけれど、不確定要素しかないのだけれどこの人なら——この人となら僕は失われたはずの青い日々をほぼ白紙から記憶というキャンバスに描き、重ねていけるのではないか。宝石には遠く及ばずとも、これから掴み取っていく思い出なんていう名をしたいくらかの光を帯びることで輝けるんじゃないか。

錯覚だ。

けれどそんな気さえしてしまうほどに、僕はもう恍惚し始めていたのかもしれない。

時が徒らに流れ続ける以上、人は停滞してはいられない。僕は大学を出ていないが、現に学生という肩書きは待ってくれなかった。用意されていた青春の舞台はとうに使い果たしてしまった。その場所にはもう僕の席はない。婚期だってそうなのではないだろうか。いつまでも続くものなんてきっと何ひとつない皮肉な世界。

自らの手で創り上げた居場所だってそうだった。永遠に続くわけじゃない。続くわけがなかった。

例えば、田畑を耕し、苗を育て、種を蒔き、養分をこしらえたりと手を焼いて作る農作物は、やがて時が来れば収穫と銘打って刈り取られてしまう宿命にある。もっと言えば、野菜の生育期間なんてごく短いものだ。そして、ひとたび養分を吸い尽くしてしまえば、再びその地に根付くことは難しい。実に儚い話だ。

また、どんなに丹念に小綺麗に積み上げた薪でも、火をつければたちどころに燃焼し醜く崩れ堕ちてしまう。積み上げていく過程では大小苦労があれど、散るときは、崩れるときは一瞬なのだ。全ては一過性のもので、自らの意思を問わず長いこと歩みを止めていられるほど時間は悠長に流れていない。鈍足でも、なんなら蛇足でもよいから進んでいかなくてはならない。

じゃあ、百歩譲ってしまおう。錯覚だっていいから、足踏みをして燻っているだけだった昨日までの暗い影と一線を画することができるのなら。今、ようやく僕のストーリーは動き出そうとしているのだから。思えば、僕と天野のスタートラインは一緒だ。もう少し正確に言えば、いくらかのブランクを経て同じ日にこの店に返り咲いた。今いるキャスト達との面識が長くないのはこのためだ。だから、奴とは第二章の始まりが同時だといえば語弊はないだろうか。僕がこんなんだから、ひょっとするとこの調子では天野に先を越されてしまうかもしれない。ひねくれて、燻っているだけの僕。けれどいつかはこの口から言い出さなければ、一丁前の言葉で伝えようとしなければ振り出しから歩みは進まない。

 

「――次に会ったとき、報告……聞いてくれるかい?」

沈黙の静寂を切り裂くように出た言葉がそれだった。

『――報告……って?』

報告だなんて、そんな立派なものじゃないのに。便宜的にそう言っただけだ。回りくどい、そんなのは分かってる。今この場で伝えればよいものを、わざわざ予告までして。

でも、今だけは自分のペースで、焦れったい真似をしてみてもいいだろうか。全ては、見つけたこの居場所に流れる時を楽しむために。少しでも長いこと楽しんでいられるように。

そして、今ここで明日……は短すぎるかな。

では——そうだな、半年後の僕へ問いたい。

 

—―出会えて、光栄ですか?

君に。

 

——

続く。 [1-2]「予防線は噛み合わない」- Coming soon...