ふぁぼって紅

偏見によるバストークと軽い読み物

今だけは前を向いて。(序)

――暗闇に浮かび上がる校舎の灯りを、僕はぼんやりと眺めていた。
冬の訪れを予感させる冷たい風が頬をくすぐり、静かに吹き抜けていく。季節柄、陽が落ちるのが早いとはいえ完全に暗くなるまで学校に居残っていることは、委員会やら部活動やら、なにかそういう類に属していない限りはあまりあったものではないだろう。そこらの都会よりは、という程度で大した星が見えるわけでもないのに、こうして静寂のなかで特に何をするでもなく突っ立っている僕は、はなから普通とは言えないかもしれないし、われながら自分らしくないと思ってしまう。

僕は、もともと一人になることがが好きではなかった。どちらかといえば、いつも誰かの傍にいて、何かにつけて盛り上がっている方が性に合っていると思っていた。現にこう、一人でいることに侘しさを感じている。もっというと、今この瞬間に限ったことではなく、その侘しさはずっと完成することのないパズルをしているような、光の見えない迷宮を長いこと彷徨い続けているような感覚を、高校三年にして味わっていた。
半年前くらい前の自分なら、そのパズルの欠けているピースの一部を補うことはできたかもしれない。実のところ欠けたピースがどういったものであるか、というのは大方つかんでいた。しかし、多くのクラスメイトの進路がすでに決まっているようなこの時期に、パズルのピースが足らないからああだと言っているようではどうしようもないだろう。しかし、今のうちに何とか埋め合わせておきたいという気持ちもまた強かった。残された半年という時間で、いわば自分の理想の青春の形を追いかけるのは、とてもではないが無謀といえるだろう。残念ではあるが、遅すぎたという感じが否めない。これまでの二年半が、思っていたよりも遥かに早く過ぎ去ってしまったように、残りの半年も、おそらくそのようにして過ぎてしまうに違いないと思った。
ひとつ大きなため息をついて、教室を出たときに買った温かいミルクティーの缶を開けおもむろに口へと運んだ。少し飽きかけた味だったが、学校の飲料販売機のレパートリなんてそう頻繁に変わるわけはないし、他に好きなものもないのでよく飲んでいる。哀愁、という二文字が頭をよぎるのは、冬が近いからだろうか。あるいは、終わりが近いことを実感するための警鐘なのかもしれないと思った。願わくば半年くらい、いや、一年分くらいの時が戻ってくれれば、まだ青春を創り上げていくのに遅くはないだろうか。僕はただ流されるがままに、たいして中身のない何につけても希薄な毎日を送り、そうこうしている間にも時は流れ、瞬く間に春が過ぎ、体感以上に短い夏が過ぎ、立ち止まって振り返る間もなく晩秋を迎えて、結局のところ目まぐるしく変わっていく境遇に翻弄されているだけとすら思えてしまう。これから先、大切な記憶として脳裏に眠ることになろう青春時代の記憶に、未練や悔いといった負の心情を塗りたくることはしたくない。そのために、このまま手をこまねいているだけというわけにはいかないのだ。
半年を切った卒業までの間にどうすれば後悔を量産せずに済むか、今からできることとは何か。これもパズルのくだりと同じで、近しいことはずいぶんと前からわかりきっていたはずだったから、ただ単に解決策が見出せない、といった方が語意として似つかわしいかもしれない。自分は決して器用ではない。手先はともかく、時間の使い方一つにしても下手くそで、さらに致命的なのが、口下手で社交性に長けていないところだ。
対人関係を築くのが下手だと、わりと何をしても上手くいかない。特に青春と称される中学、高校ではそれが顕著に現れる場合が多く、端的にざっくり言ってしまえば友達の数が全てを物語っているようなものだ。別にやたらと知人の数が多いからといって得をするようではないのだが、そう煩わしいことは抜きにしても一人よりは二人、五人よりは十人いたほうが楽しみ方の幅が広がることには違いない。僕が理想と現実の間でもがいているのは、今に始まったことではない。たぶん、それは昔から。

まあ、今つらつらと述べたそれらは原因の一つであるという程度のもので、別に僕は多くの友達を欲しているわけでもなければ理想の学校生活のカタチを探求しているのでもない。本質はそこにあるんじゃない。
一つ大きなため息をもらし、僕はあらためて頭上の星空を仰いだ。よく大切な人を彼方で輝く星に例えたりするが、僕等が眺めることのできる星の一個一個は小さく、辺りの漆黒に埋もれてしまってあまりよくは見えない。けれど星というのは、集合体となることによって言葉にならないほどの輝きと感動を人々に与える。大切な人云々はともかくとして、これは誰かの力を借りずには歩んでいけない我々人間と似ているかもしれないと、ちょっとばかり考えてしまう。僕のような寂しがりは特に、まわりに誰かがいてくれないと深い孤独を感じる。我ながらとんだ綺麗事だ。とうに慣れてはいるのだけれど。

翌朝の空は見渡すかぎりに青かった。空の青さに徴される季節は夏だと思うのだが、初冬の空といったらこんなものなのだろうか。まあなんだ、そう悠長にボケっとしている時間はないのでセルフストリートレースを展開しつつ、無事遅刻寸前の電車に乗り、一路学校へ向かうのだった。実に普段どおりの朝だろう。ただ、その“普段どおり”が過去のものとなるのが僕には近い。だからなんだという話でもないが、あくまで通過点にすぎない学生という肩書きをずっと抱えてはいられないので、当然といえば当然だし、仕方ないといえば仕方がない。少し格好つけて言うと、抗えない宿命といったところだろうか。こういう時、前だけを見て歩いていくことができれば、それなりに楽しいと感じるのかもしれない。まあ、今はあまり深く模索しないほうが楽かもしれない。

初冬の低い陽に照らされて、駅から学校へと続く慣れた通学路を歩いた。これまで数えきれないほど行き来したこの道の街路樹の銀杏は、今年も眩いまでに彩られていた。このまま脳裡に焼きつけておくだけでもよかったが、せっかく高性能カメラのついたケータイを持っているのにつかわない手はないと思い、立ち止まりポケットをまさぐった。これまで、通り慣れた道だからと特に気に留めてこなかったけれど、たまに気にして歩いていると新しい発見がある。案外良い光景かもしれないと思った。素早く端末に記録し、また歩き出そうとすると不意に後ろから肩を叩かれた。

『――綺麗だな、紅葉』

「……ああ、そうだな」

すぐにそれが友人という僕にとって栄えある称号を有する簗瀬であることに気づき、特に振り返ることなく相槌を打った。

『……お前、最近どうだ?』

「どうだって、何が」

質問の意図は十分に理解したが、あくまで振り向かずにとぼけると、簗瀬は深い息をついて話し始めた。

『あれから何か進展は?』

「……特には。俺にあると思うか?」

少し嫌味を含んだように聞こえるだろうか。簗瀬は少し鼻で笑ってみせると、僕の右手に握られていたケータイをさらうと、画面を覗き込んで言った。

『パスコードは?』

「さあ、なんでしょう」

適当にあしらって、ゆっくりと僕は歩き始めた。

『……お前、伝えられちゃいないんだろ?』

「……もちろん、何も言えないままだよ」

やはりか、といった具合に簗瀬が苦笑した。

『……だからお前はダメなんだよ』

「……努力って言うのはおこがましいけど、これでも少しは努力してるつもりだよ」

「変わりたいって、いつも言ってただろ?」

確かにそうだ。僕は変わりたいと、よく言っていたし、進行形でよく言っている。人と

接することが苦手というだけで必要以上の重石を背負って過ごす日々に、僕は終止符を

打ちたかった。そう、ずいぶんと長いこと抜け出せずに、自分で足かせをつくって窮屈な思いをするばかりで。

「ああ、変わりたいよ。今も変わりたいと思ってる」

『じゃあ、変われるのは今しかないよな』

『……まあ、俺に言えることはそれくらいかな! ほい、ケータイ』

こちらを向いてそう強く言い放つと、簗瀬は僕と入れ替わりに先を歩いていった。

『あとは知らねーぞ!』

去り際、そう高らかに雄叫びを上げると足早に、いくらか前を歩く登校列に紛れてしまった。彼は明るい人間だ。社交性の塊のようなものだから、人脈にも富んでいる。この学校では指折り数えるほどしかない精力的かつ馴れ合いサークルとして名高い演劇部の活動を行う傍ら、放課後や休み時間にとどまらず授業中にあってもポータブル機によるゲーム対戦で、よく所帯持ちの言う家族サービスならぬ友達サービスも決して疎かにしていない。まあ、後者に関しては別に誉めてもいないが、人と打ち解けるのが上手なところを見ても臆病で小心者の僕にとっては学ぶこと倣うことの多い器だった。コイツに追い立てられなければ、僕はおそらく変わることから逃避し続けていた。そう、コイツのように思うままに他者と打ち解けることさえできれば。そんなことを踏まえて、そっと消え入りそうな声で呟いた。

「お前には敵わねぇな――」

最後の角を右へ曲がり、校舎へと続いている緩く長い坂道をスタスタと安い靴音を響かせながら登坂する。飽きるほど毎日のように時を重ねてきたはずの、ありきたりな通学風景だ。それは僕だけでなく、君も同じだろう。同じ道を歩いて登校し、同じ建屋で授業を受け、部活なんかをしてまた同じ道を帰路につく。けれど、君と僕の日常は決して重ならない。同じ教室にいなければ、学年が違うことからクラスのある階も異なってくる。故意に部活を被せにいくことは正直できると思うが、本来受験生の分際で全く新たに生徒活動を始めようというのは、不可能ではないとしても常識を逸していることに違いないはずだ。現実味を帯びてこない。同じ高校に在学しているというだけでは明瞭な接点にはならない。だから強引につくる他なく、そこは目を瞑ってもらうしかない。無情である。

魔の坂、と生徒間では呼称されるスロープのように坂を登り終えると少々ではあるが階段が待ち受けていて、校舎玄関へたどり着くまでにそれなりに息切れする。が、別に大した運動量ではない。この程度の坂では“魔”と称するには明らかに誇大すぎるし、常日頃もっと歩け若者よ、と戯言を漏らさずにはいられない。まあ、僕も当たり前のようにほぼ同い年だ。……割と必死にタイムアタックを繰り広げた挙げ句に乗った電車が遅刻寸前だったがために始業時間に余裕は微塵もないのであるが、我ながら悠長に歩いたもんだと思う。前を行く生徒連中にはすっかり離されてしまった。事実、腕時計をちらりと覗くと絶望的な気分になった。結局先を歩いていった簗瀬は間に合っているだろうか。果たしてこれが甚だ無事と言えるのかは疑問だが、幾分乱れる息でエントランスに到達し、下駄箱に靴を放り込む前に出入口の脇の壁面にある自動販売機めがけて直行する。財布の中身をまさぐると、迷わずホットミルクティーのボタンに指を重ねた。放出されてくるそのミルクティーを片手ですくい上げると上腿を起こし、いざ下駄箱へ歩みを――と手元にあった視線を元に戻す。ここまではたった数秒の動作だったし、時空の枠に則していた。問題は視線を移した先、焦点が合ったもの。

見慣れた横顔だった。僕はかねてからこういったチャンスを待ち望んでいたはずだ。耳の奥にチャンステーマらしきマーチが鳴り響く。決して重なることのないであろう運命線が、ほんの少しだけ交わった瞬間――

「おぁっ……!おっはよう!」

少し噛んだのはこの際見過ごすとして、挨拶こそコミュニケーションの基本であり、同時に宇宙の真理でもある。初歩の初歩である挨拶がそもそもできないようでは、その先の意思疎通が図れるはずもないのだということだ。
最近は少し挨拶の言葉を投げかけただけで警察沙汰になることもあると聞くが、実に世知辛い、生き難いご時世になったもんだとピチピチの現代人ながらに遺憾を禁じ得ない。そしてさらにこの際なので言うとすると、挨拶とはとても気恥ずかしいものである。

『――おはようございますっ』

とあるきっかけで、というよりは単純に幸運が重なったことによって少女と面識を有しているのが唯一の救済だ。そして、瞬時のことで思考を巡らせる余裕もなかったが、握力の抜けかけた右手から買ったばかりの缶ミルクティーが放り出されなかったのは幸いであった。

『……ミルクティーですか?』

軽く持ち替えたときに動いたのが目立ったのか、彼女は右手のそれに目をやって言う。

「……うん、よかったらだけど持ってく?」

善意の押し売りのつもりはないにしろ、この寒いなか自分だけがホットドリンクに有りつくのはなんとなく気が引けたので、僕は缶を差し出した。

『――いいんですか?』

「いいですとも」

『……ありがとうございます――』

一瞬は渋ったものの、受け取ってもらうことはできた。

そういえば、と思って、喉元まで出かかった疑問を飲んだ。何かと言えば、もう始業のチャイムが鳴って数分は経つだろうし、僕のようにフリーダムなスクールライフを展開していない限りこの時間に玄関先に居るのは不自然だろう。彼女が自分と同列とは全く思わないし、今しがた登校してきたばかりのようにも見えない。違和感の正体はそれに尽きるだろう。まあ、担任に扱き使われた帰りだとか朝に何か活動していて遅くなってしまった真面目という線で考えるのが妥当かもしれない。いずれにせよ、あまり野暮なことは聞くもんじゃない。むしろ僕としては遅刻して得をすることになったわけだし、それには素直に喜びたい。

「……何がしてぇんだ」

背を向けた彼女が立ち去っていくのを見届けた後、我ながらに呟いた。自分は顔見知りという境遇に甘んじてもなお、彼女に声をかけることすらままならない。本当に今日のように挨拶を交わすのがやっとで、いくら何でも限界線が低すぎる。そんな自分から変わりたいと強く願っている。けれど願っているだけでは足踏み状態で、ましてや立ち止まって足踏みをしている暇が残されていないのだから、滑稽だろうと何であろうと、少しくらいの恥は忍んででも前へと歩みを進めていくしかない。

まあいい、運命という大きな道筋に逆らうことは並大抵ではないが、抗うことはできるはずだ。

さあ、残り半年。再三悪あがきでもしてみようか。とびきり無駄で滑稽なやつを。あぁ、簗瀬の奴に怒られてしまわないギリギリの線にしておこうか。

願わくば、そこに新たなドラマが生まれるように。

 

 ……(続く)

――

ご拝読ありがとうございます。序章でした。

この通り、短めの読み物を始めようと思います。これはひと昔軽く書き溜めていた物のリメイクになります。学園系で、これを書いた頃の自分は現役高校生でした。今思えば結構お恥ずかしいのですが、当時の心情を垣間見ることができて面白いのであまり改変してはいません。自分の境遇をかなり美化して描いているに過ぎないのです。